| それはいつも唐突にヨーコを苛む。 本当はもう思い出しているんじゃないかという恐怖。 ヨーコはそっと両腕で自分の方を抱く。 頭が空転しそうになって、底を１２にした意味のない暗算をする。 数字の羅列に集中して雑念の入る余地のない程に。 だんだん視界がぼやけてそれから急速にクリアになる。 …もう大丈夫。 しっかり確かめて背中のナップサックを揺すり上げた。 ケビンが見ていた。 ヨーコは気づかない振りをする。 ハンカチを貸してくれた。 銃の撃ち方を教えてくれた。 けれども。 …あの人の優しさに触れたくない。 八月の空は、眩し過ぎて息が詰まりそう。 「…嫌われてる気がする」 「…誰に」 「あんたに」 「ふざけているなら俺は行く」 「あー、冗談、冗談」 わざわざ呼び止めたデビッドはあっさりと去っていきそうでケビンは慌てて真顔になる。 「ヨーコだ」 デビッドは軽く目を細めた。 「…お前が変態おまわりだからじゃないのか」 「俺真面目に話してんだけど」 仕返しとばかりに睨んでくるケビン。 あしらいながらデビッドは内心笑う。 つまらないことを気にするものだ。 まぁ、らしいと言えばらしいが。 「…あいつの気に障るような事したのかな」 「…」 仲間内で一番弱いヨーコ。 仲間内で一番強いケビン。 デビッドには何となく分かる。 ケビンには決して分からないだろう。 「…ヤバイ目に合わせたくねぇな」 「…あまり彼女を甘やかさないことだ」 デビッドの精一杯の忠告を違う意味に取ったケビンは不満げに離れていく。 残されたデビッドは軽く腕を組んで壁に凭れた。 …ヨーコ次第の問題だ。 癪だから俺はこれ以上手伝わない。 ２０４号室に入ったヨーコは、広いベッドの上のケビンに一瞬ドアを閉めて回れ右しそうになった。 「…ケビン？」 それでもおずおずと声を掛けたが返事はない。 器用に組んだ腕に頭を乗せてうつ伏せになったケビンは完全に熟睡していた。 そっとベッドの脇にしゃがみ込んで寝顔を見上げて見る。 …ちょっと可愛い。 わだかまりを忘れてヨーコは思わず瞼に掛かった前髪を掻きあげてやった。 いつも気遣わしそうにヨーコを見つめる目は軽く閉じられて 、 いつもいたわるようにヨーコを励ます唇は薄く開いて安らかな吐息。 優しいおまわりさん。 本当は好き…なんだと思う。 疲れているのかケビンは全く起きる気配がない。 乱暴に脱ぎ散らかしたケビンの靴が転がっている。 並べてあげようとそっと手にとったそれはずっしり重くてヨーコは少しびっくりした。 …大きな靴。 ちらりとケビンを見る。 気持ちよさそうな寝顔。 ヨーコは自分の靴を脱いで、床に置いたケビンの大きな靴に足を入れてみた。 踵がたくさん余って、ぶかぶか。 足首に小さな風が吹いて、くすぐったくてヨーコは口元にてのひらを当てた。 笑ったらケビンが起きてしまう。 そっと足踏みをしていると、ケビンに包まれてるみたいで。 いつもそれがイヤだった。 守られているだけの私が。 ケビンみたいになれない私が。 …でも。 大きな靴はヨーコに教えてくれる。 あなたと私は違うのね。 胸につかえていた角砂糖が甘く溶け出して。 ヨーコは自分の靴に履き替えながら、まだ寝こけているケビンを見た。 今度、頭が空転したらきっと私を見ているあなたに頼ってもいいかしら。 でも。 ヨーコはまた笑いを必死で堪える。 そしたらデビッドはどんな顔するのかな。 |
