| 明帝国のどこか。 かつて、「武術の修行が盛んな寺」として繁栄し、 ある日突然歴史の表舞台から消えた寺、真行山臨勝寺。 その跡地の一角の、山の中の祠に、一人の男が座禅を組んでいた。 彼は臨勝寺で育った孤児。 幼い頃から武術、特に棍術の修行を積み、七年前、 十六歳にして棍術の奥義伝承者に選ばれた。 しかし、皆伝式の前夜。 寺の境内が光に覆われた。 彼を含め、境内にいた全ての人々がその光を浴びた。 その瞬間、彼の頭の中で、一つの感情がむくむくと急成長した。 「全てを、破壊し尽くしたい」 その感情は彼の理性を制圧し、彼を狂気の中に引きずり込んだ．．．。 気がついた時、彼は鏡を身につけていた。 それは、「姉」と慕っていた人が身につけていたものだった。 程なく、彼はその理由を知った。 その人は、彼を救うために鏡を託し、自分は狂気に飲み込まれて、殺し合いの中で果てた。 そして、彼の体には、愛する人々の血がべっとりとこびりついていた。 「全ての元凶は、邪剣”ソウルエッジ”」 彼を介抱した老人―真行山臨勝寺の武術顧問・エッジマスター―は、彼にそう教えた。 彼は、臨勝寺棍法の奥義と、自らに巣食う邪気を制御．中和、 そして浄化する術を老人から学んだ。 長い長い旅と戦いの末、彼はついに邪険を浄化することに成功した。 しかし、それでも、彼の体に巣食った邪気は消えなかった。 彼は己の体に巣食った邪気を払うため、そして、邪気に犯されて人々を殺した 罪をあがなうため、この祠に隠匿していた。 どのくらいの時間が経ったのだろう。 ある日、そんな彼の元に、一人の人間が訪れた。 カツン、カツン・・・。 遠くから響いてくる足音に、彼は来訪者の存在を察知した。 「・・・・・・！」 祠の中に、足音が響く。 「・・・・・・」 足音は一定の間隔で、しかも少しずつ大きくなっていく。 「・・・・・・」 やがて足音は、自分の目の前に止まった。 彼は目を開けず、しかし、細心の警戒を払って、来訪者の動向を見守った。 来訪者は何もせず、声もかけずに自分の向かいに座った。 「・・・・・・？」 来訪者の視線が、自分に注がれているのを、彼は感じていた。 彼には、来訪者がどんな思いで自分に視線を向けているのかわからない。 ただ、邪な気持ちを持っていないのは確かだ。 来訪者をここに置いても問題ない．．．そう判断した彼は、そのまま座禅を組みつづけた。 「もしお邪魔でなければ、僕の話を聞いていただけますか？ ・・・ただ、聞いていただくだけでいいんです」 来訪者は、きっぱりとした声で言った。 声からして、自分と同世代の男性。 訛り方が香華のそれと似ていることから、北京の出身だろう。 彼はうなずいた。 「僕はあなたの役を演じることになった役者です」 「・・・・・・」 「貴方のことを知った時、僕に似ているなと思いました。．．． 僕も貴方と同じ国で育ち、貴方と同じ武術を極め、そして．．．」 「人知を超えた”気”を持っている」 来訪者の言葉に、彼が続けた。 彼は来訪者の姿を見ていない。 だが、その体に宿している”気”は、彼の体に巣食っているものとは、 明らかに違う”気”だった。 その体からは、潮騒や水のせせらぎのような音が聞こえた。 そして、水のような形の”気”が、羽衣のようにその体にまとわりついていた。 自分が武術のたしなみのない一般人でも、感知できるほどの大きさであった。 もちろん、来訪者も・・・自分の体に巣食っている”気”を感知しているはずだ。 「もっとも、俺の体に巣食っている”気”に比べれば、マシな”気”だけどね」 来訪者は驚き、次に「ふふっ」と笑い声を漏らす。 「・・・そうです。．．．・・・さすがは、臨勝寺で『伝説の武術顧問』と評される 王陽康の愛弟子だけのことはあります」 彼の眉が、かすかに動いた。 「驚いた。師匠の本名を知っていたとは．．．」 「貴方の役作りのために、あれこれ本を読みましたから・・・貴方の仲間だった柴香華や 真喜志のことも知っていますよ」 彼はさらに驚いた。 役作りのために自分について調べ、ここまでやってきた来訪者のまじめさ・真剣さに、 彼は感嘆した。 「それだけ知っているのなら、ここに来る必要などないんじゃないのか？」 彼の言葉に、来訪者は「いいえ」と首を振った。 「どうしても知りたいことがあったからこそ、僕はここに来たんです」 「それは？」 「なぜ貴方は、今の形で罪をあがなうことを選んだのですか？」 「・・・・・・」 彼は口を閉ざした。 沈黙した二人の上に光が差し込み、そよ風が吹き、鳥のさえずりが響きわたる。 「もちろん、正解なんてありません。．．．寺を再建する答えもあれば、邪気に 侵された人々を救う答えもありましょう。・・・貴方はなぜ、 あえてこの道を選んだのですか？」 来訪者はもう一回、尋ねた。 彼は呟くように言った。 「．．．お前が俺だったら、どうする？」 来訪者は、淡々と答えた。 「．．．僕なら、その力を人々を救うために使います。．．．たとえ、どんなに偽っても、 逃げても．．．過去の過ちは消せない」 「そのとおりだ」 「そして、貴方の体に巣食う気は、貴方が過去に犯した行為の゛烙印゛。 ．．．そして、烙印は一生、消えない」 「・・・それでも、自分に出来る最善かつ最大の方法で、罪を償わなければならない。 ・・・だから俺は、この道を選んだ」 彼の話が終わった後、またさっきと同じ沈黙が流れた。 心地よい風が吹いてきた。 風に乗って、木の葉がひらひらと舞い降りた。 来訪者は自分を見つめたまま、微動だにしない。 だが、彼には来訪者が何を考えているのか、おぼろげながら感じ取ることが出来た。 「何か重大なことを悟った」 彼がわかったのは、それだけだった。 しかし、それによって、来訪者は何かを断ち切ったようだった。 差し込んでくる光が赤くなってきた頃。 来訪者はすっくと立ち上がった。 「ありがとうございました。・・・おかげでもやもやしていたのが取れました」 来訪者は、礼を述べた。 そして頭を下げると、ゆっくりと歩き出した。 「．．．待ってくれ」 彼は一言、口から言葉を発した。 来訪者が歩みを停め、振り返る。 「．．．お前の名前は？」 彼に尋ねられ、来訪者は答えた。 「孫です。孫神遊」 はっきりとした声に、彼は何かを感じた。 呪われた運命に立ち向かった、かつての自分と同じものを。 それは、人知を超えた力に負けまいとする、強い意志。 「力」は時として人を狂わせ、その人の正邪のバランスを崩してしまう。 “ソウルエッジ”の持ち主だった、あの青い鎧の騎士がその典型だ。 来訪者も、人が持つには大きすぎる力を持っていた。 体に纏いついていた水のような”気”が、何よりの証拠。 一歩間違えればあの騎士と同じ目にあっていたはず。 だが。 来訪者は「力」に支配されずに済んだ。 それどころか、その「力」と共存している。 そして、「力」の支配に対抗する意志を持たせたのは．．．仲間。 彼は微笑を浮かべた。 「孫神遊か．．．覚えておこう」 来訪者は頭を下げると、祠の外に向かって歩き出した。 強い意志を持って、大きな運命の奔流に立ち向かわんとする、来訪者の後姿。 その後姿に、彼は一言、心の中で呟いた。 「頑張れ」 寺は滅んでしまった。 伝えていくべき武術も絶えた。 だが、その心は確実に受け継がれた。・・・彼から、あの来訪者へ。 「．．．やっと、見つかったね」 彼の背後から、懐かしい声が聞こえた。 その声は、かつて「姉」と慕っていた人のものだった。 「シャンレン姉さん」 彼がその声に答え、後ろを振り向く。 そこには、彼の「姉」が立っていた。 「姉」はにっこり微笑み、彼に手を差しのべた。 「・・・キリク、迎えに来たよ」 終 |
